1936年生まれ。CM音楽プロデューサー。60年、コマーシャルソングの創始者、三木鶏郎の「冗談工房」に入社、ディレクターとなる。65年、作曲家の桜井順とブレーンJACK設立。72年、ON・アソシエイツ音楽出版設立。CM音楽に大瀧詠一、山下達郎、坂本龍一、鈴木慶一、大貫妙子、井上鑑などをいち早く起用。77年「三ツ矢サイダー」、78年「資生堂・サクセスサクセス」、79年「資生堂・君の瞳は10000ボルト」、81年「ミノルタ・今の君はピカピカに光って」など数々の話題CMを手がける。これまでにレコーディングした曲は約3000。ON・アソシエイツ音楽出版代表。




大瀧詠一、山下達郎を起用した三ツ矢サイダー、ダウンタウンブギウギバンド(「サクセスサクセス」)、矢沢永吉(「時間よ止まれ」)、堀内孝雄(「君の瞳は10000ボルト」)、南こうせつ(「夢一夜」)の資生堂のCMソングなどでヒットを連発する。他にも吉田美奈子、坂本龍一、井上鑑、鈴木慶一などを早くから起用し、CM音楽の可能性、同時に日本のロック、フォーク、ポップスの可能性をも拡げてきた。
(写真は大瀧詠一「Niagara CM Special」)
聞き手:佐藤 剛(音楽制作者連盟副理事長)
文:杉山 敦
写真:下山ワタル


才能を適材適所に構成すればいい作品ができる。


──大森さんがコマーシャル音楽の制作を始めたのは何年からですか?
「1960年です。もともとは歌を歌いたいと思って、それなりの勉強はしていたんですが、でもとても一流にはたどり着けない。それで人を活かしす制作の仕事をやりたいと思ったんです。そうしたら、縁というのはありがたいものですね。三木鶏郎先生(コマーシャル音楽の創始者)のところ(冗談工房)に入れていただいてそこから始まったんです」
──コマーシャル音楽の制作をライフワークだと思えた達成感というのがすでにそこであったんですか?
「日々楽しかったですからね。クライアントの社長さんと鶏郎先生との打ち合わせがまずある。先生がアイデアをすぐに表現するんですね。“くしゃみ3回ルル3錠”とか。キャッチフレーズ・ウイズ・ミュージック、キャッチフレーズこそコマーシャルの神髄であると。そういう先生の創造力、表現の過程をそばで体験させてもらっていました。打ち合わせが終わってレコーディングに入るとディレクション、OKかNGかの緊張感のある役割で、やりがいがありました」
──大森さんはその後、64年に作曲家の桜井順さんと「ブレーンJACK」という会社を立ち上げて、資生堂のコマーシャルを中心に作品を作っていくんですね。
「資生堂のコマーシャルは“CM界のクロサワ”と呼ばれた故・杉山登志さん(映像監督)との仕事がメインでしたから、お互いに真剣を抜いてましたね。ある商品がある。映像スタッフを中心に広告表現の企画会議がある。その出発点に音楽のスタッフも一緒に参加させていただけた。それがすべての広告制作にあてはまるというわけではないのですが、“これは!”という商品のときにはそのような仕事の進め方が今でもできるといいなと思いますね」
──今はパート、パートが分業になってますからね。一番根っこのところから共有して作品を作っていくということですね。
「ON(ON・アソシエイツ音楽出版)になってからの仕事で、杉山登志さんが“これは違う!”と言ってレコーディング・スタジオから帰ってしまった。映像を見直すとやっぱり音楽に実感がなかったんです。登志さんは白昼夢のような映像を作ってたんです。それで2日後に、メロディをもとにあとは演奏者のフィーリング、感性を反映させて即興的に作るのが、言ってみればブリジット・フォンテーヌの世界のような作り方がいいと思ったんです。そこで演奏家を選んで、ドラムスは猪俣猛さん、トランペットが沖至さん、ほかにフォークギター・石間秀機さんとリコーダー・上杉紅童さんにスタジオに集まってもらって、個性的な声の歌手も選んで、作詞家の岡田冨美子さんをお呼びして映像を見てもらい、メロディを聴いてもらってすぐその場で書いていただいて、という作り方をしたんです。登志さんはギラギラした眼を輝かせて納得しました。映像作家との熱いせめぎ合いを体験しました」

神髄を感じるにはライブが一番いいですね。


──今回の「音楽主義AWARD」選考会における大森さん表彰のキーワードは“映像”だったんです。ポップス、大衆音楽の発展は、映像やアートワークと密接に結びついています。音楽の背景を伝えてくれたり、一緒になってクリエイティビティを追求してくれる。大森さんが作ってきたコマーシャル音楽は、そういう意味できわめて重要な責務を果たしてきたと思うんです。コマーシャルは短い秒数のなかに凝縮されたクオリティ、即効性で観ている人に訴えかける。その映像と一緒になった音楽には多くの人に訴える力を持っている。
「それは、僕だけがしてきたことじゃないと思うんです」
──でも、大森さんは新しい才能を自在に組み合わせたり、結びつけたりしながらより広汎なものづくりをしてきましたよね。
「たとえば、リリィの「オレンジ村から春へ」(資生堂)にしても、「リリィ」と言ってもクライアントはわからない。でも幸いに私はそれまでに10年くらいのキャリアがありましたので、クライアントとの間でも信頼関係が醸成されていたんです。だから作らせてくれた。大瀧詠一さんにしても、クライアントは知らなかった。だけど作って結果を出せばわかっていただけた、やらせてくれた。そういう信頼関係はあったということですね」
──大森さんは大瀧詠一さんや、山下達郎さん、鈴木慶一さんなど新しい才能をどんどんコマーシャルの世界で起用してきました。どうやって彼らを“発見”していったんですか?
「幸い周りに良い情報をくださる方もいました。ライブにもよく行きましたね。今でも私はライブが一番好きです。“あ、この人を活かせる”って感じる瞬間があるんです。神髄を感じるにはライブがいちばんいいですね」


せめぎ合いのなかから、心に残る音楽が生まれる。


──大森さんとコマーシャルの仕事をすることによって育てられたミュージシャン、クリエイターはたくさんいます。
「その時代のことを自分も客観的になって考えてみると、やはり自分も含めて育ててもらったと思うんです。クライアントも“育てる”なんて意識はなかったかもしれないけど結果的に育ててくれた。今は、“育てる”という大事なことが希薄じゃないんでしょうか? そのスピリットが欠けてると思いますね。今はあるものがそのまま安易に利用されるということがコマーシャルでも非常に多いですよね。コマーシャルの仕事をしてきて、今はコマーシャル音楽とコマーシャル以外から生まれる音楽とはそんなに垣根はないと思っています。広告の言葉、映像は人の感情に訴える効果を狙っています。そこでの音楽の役割はとても大きい。広告スタッフ、特にコピーライターや映像作家とのせめぎ合いのなかから、コマーシャルでありつつ心に残る音楽が生まれる。これからもそういう機会はぜひ作っていきたいし、いただきたいと思っています」

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