1948年生まれ。レコーディング・エンジニア/プロデューサー。日本初のフリーランスエンジニア、プロデューサーとして、はっぴいえんど『風街ろまん』、細野晴臣『HOSONO HOUSE』などの実験的な日本のロック/フォーク創世記の音作りからはじまり、歌謡曲、クラシックとジャンルを超え、いずれもその音楽史上に残る作品にかかわり続けている。常に新たな技術に取り組みながらも、技術のみにかたよることのない音楽的な姿勢は多くの作り手に支持され続けている。また、『朝比奈隆指揮ブルックナー交響曲全集』の録音、プロデュースも行なっている。
http://greendoor.jp/



朝比奈隆、はっぴぃえんど、細野晴臣、中島みゆき、佐野元春、友部正人、山本リンダ、キャンディーズ、沢田研二など、クラシックから歌謡曲まで数多くの名盤のレコーディングに携わった。近年は、入手困難なファン垂涎のSP、LPの秘蔵盤を選りすぐってCDで復刻するグリーンドア・レーベルを自ら運営、「名演」を広めることに尽力し、その革新的な仕事はクラシック関係者からも大きな評価を得ている。代表作「フランスの歌/リュシ・ドレーヌ(ソプラノ)」「シューマン・ライブ/アルフレッド・コクトー(ピアノ)」「ショパン・ピアノ集/ウラディミール・ド・パハマン」(写真上から)。昨年8月に開かれた「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」には、矢野顕子、細野晴臣、友部正人、佐野元春、大貫妙子、ゆず、井上陽水らが出演した。
話:國崎 晋(『サウンド&レコーディング・マガジン』編集長) 
聞き手:佐藤 剛(音楽制作者連盟副理事長)
文:杉山 敦 
撮影:八島 崇
写真提供:『サウンド&レコーディング・マガジン』


ミュージシャン寄り、というか音楽家そのもの。

──吉野金次さんとお話をしてると、譜面ももちろん読めて、音楽や楽曲の構造がわかり、音楽家の気持ちもわかっている。きわめてミュージシャン寄りなエンジニアですよね。何度も吉野さんを取材なさってる『サウンド&レコーディング・マガジン』編集長の國崎さんから、そのあたりのお話をいただければと思うんですが。
「北沢タウンホールでのコンサート(2006年8月開催の“レコーディングエンジニア:吉野金次の復帰を願う緊急コンサート”)の告知サイトにも書いたエピソードなんですけど矢野顕子さんの『PIANO NIGHTLY』(95年)のときに、矢野さんが弾くピアノを選んだのが吉野さんだったそうなんですね。スタンウェイのお店に行って吉野さんがピアノを弾いてチェックして選んだ。そんなエンジニアさんって今まで、お目にかかったことがなくて。ミュージシャン寄り、というか音楽家そのものという印象を僕は強く持ってますね」
──西岡恭蔵さんの「プカプカ」という曲の間奏で、ブギウギピアノみたいなピアノソロが入ってくるんですが、そのピアノは吉野さんが弾いたそうなんです。吉野さんが録音してたんだけど、“物足りないよね”って。“間奏に絶対にピアノがいる”と言ってご自分で弾いてかぶせたというエピソードを数年前に聞いて。僕は30年来その曲が好きだったんだけど、まさかそんなことになってるとは思ってもみなかった(笑)。
「エンジニアには昔、楽器を弾いていたという方が多いんですけど、吉野さんはクラシックの指揮者になりたくて、その第一段階としてレコーディングのエンジニアリングを始めたと。だから、音楽をどう奏でる、どう操り、どうハーモニーを生み出していくという視点まで持っているんですね」


エンジニアを現代的な指揮者ととらえられていたのかも。

──僕もその話は直接うかがったことがあります。吉野さんが最初に東芝に入った時期がビートルズが世界に登場した時代で、それまでレコードでは聴いたことなかったような音がたくさん海外からもたらされた。それらを喜多嶋修さんと夜を徹して研究したと。
「録音にのめり込みつつ、でもやっぱり指揮者をやりたいという気持ちはすごく持ってると感じますね。ミックスしてる最中の吉野さんを見学させていただいたことがあるんですが、指がタクトを振りかねないぐらいの勢いだったんです。エンジニアリングという仕事をある種、現代的な指揮者、コンダクターの要素として見られてるのかなと思いました。ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンもやっぱりクラシック畑で、音楽学校でアレンジと指揮を学んでたんですね。そういう意味ではずいぶん、吉野さんに重なると思いますね。吉野さんがジョージ・マーティンをトレースしたということじゃなくて、そういう存在があの時代には絶対に必要だったんです。日本では吉野さんがそのポジションをしっかりと押さえてくださって、いろんな素敵な音楽を生み出すためのかなりの力を下支え的にしてくださった」
──ビートルズにジョージ・マーティンという名プロデューサーがいたように、はっぴいえんどには吉野金次がいた。あの4人の素晴らしい才能プラス吉野金次という人がいて、初めてあの音ができたと思います。そこから日本のロックやフォーク、今のJポップにつながる道の基礎を作ってくれた。
「でも吉野さんがもっとすごいのは、ビートルズはプロデューサーのジョージ・マーティンがいて、ジェフ・エメリックとかいろんなエンジニアがいた。吉野さんはその2人分の仕事をひょっとしたらしてたのではと思うんです」


丸かったら丸いまま聴かせたいと。素敵なことですね。

──技術の進歩とともに、レコーディングもどんどん専門化して広がっていたけども、その始まりから今に至るまでの約40年間、吉野さんがかかわってきた、かかわり方は、微動だにせずにずっときてますよね。
「70年代後半~80年代は“エンジニアの時代”だと言われ、丸く録ったものを星型にして出すのがスーパーエンジニアだみたいな時代があったと思うんですが、吉野さんはあくまで丸いのは丸いまんまでいこうよと。ミュージシャンが出される音を吉野さんがちゃんと聴いて、それをそのまま僕らに届けてくれる。それが一番素敵に思うことですね。僕は矢野顕子さんのソロピアノのシリーズがすごく好きなんですが、本当に矢野さんが目の前にいて、そのホールがあって、そこの環境に自分がいるかのようにさせてくれた感じというのが、本当にうれしいんです」


クラシックからヴァン・ヘイレンまでレンジが広い。

──吉野さんと仕事してて、スタジオに吉野さんが欲しいマイクがなかったときも、がっかりしたことを見たことがないんですよ。ある材料で、全部やる。“じゃあ、これをこうしてみよう”ってそこでアイデアを出されるでしょう。工夫、知恵、考える、いとわずにすぐ試す。そういった吉野さんだからこそ、たくさんの名作、名曲を生み出してきたと思いますね。
「音楽的な趣味もすごく幅広く、どんな音楽にも開かれた態度なんですよね。吉野さんにお会いしたときに、“國崎さん、クラシックも聴くの?”“ときどき聴きますよ”“指揮者、誰が好きなの?”と訊かれて、“カルロス・クライバーがすごく好きです”と答えたら、“あぁ、カルロス・クライバーはあのときのあれがいいよね。昔、録画したビデオがあるからあげるよ”って翌日にパッと郵送されてくるんですよね、片や“この前、ヴァン・ヘイレンのコンサート行ってさ。最高なんだよ”とか。どこまでレンジが広いんだ、って感心します。たぶん吉野さんのなかでは、音楽に何も区別なく、素晴らしいものは素晴らしいと、すべてに開かれていると思います。その姿勢は作品や取材の際に吉野さんから何度も、たくさん学ばせていただいています」

吉野金次さんは現在病気療養中です。ご回復をお祈りしています。

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